* * *
ざああっと。
曲線を描いて、水が降り注ぐ。
たくさんのひまわりが咲き乱れる、大きな庭。
バイトの彼がホースを持ってあちこちに水をまいている。
彼女はそれを見つめている。
太陽に照らされてきらきら輝いて。
―――虹ができた。
虹だ、と彼女は表情をぱあっと明るくさせる。
こんな小さなことでもわくわくできるのは彼女ならでは。
それを作りだしているのが彼の持ったホースだということでは尚更だ。
だけれど、虹はすぐ消えてしまった。
彼が水を与える場所を変えてしまったためだった。
光の当たる方向が変わったからだった。
彼女は身を乗り出した。
少し自分が動けば――また虹が見えた。
それから少し視線をずらせば、相変わらず無表情で水をかけている彼の姿。
端正なその横顔にほうっと見とれて、そしてまた虹を見る。
彼女にとってその光景はとても幻想的できらきらしていた。
珍しく彼は彼女の存在に気付いていないようだった。
彼女がわからないような難しいことでも考えているのだろうか。
でも今日は彼女は自分に気付いてもらおうとせず、ひたすらその幻想的な光景を身を乗り出して見ていた。
水が降り注ぐ角度が変わるたびに彼女はちょこちょこと前に進んで行った。
ある一定の端まで行ったところで―――それは起きた。
ばしゃん!
「きゃあっ」
「うわっ」
彼が急に振り返ったのだった。
水を端まで掛け終わって、どうやら元の場所に戻ろうとしたらしい。
先程まで誰もいなかった場所にちょうど彼女がいて、そのシャワーを彼女はしっかりと被ってしまった。
「おまっ…なんでこんなところにいるんだよ」
彼女はぷるぷると顔を振った。
それはまるでチビが水を払う姿に似ていて、彼はくすりと笑った。
水滴が舞って、それが太陽に当たって、きらきらと輝いた。
彼女は気まずそうに彼を見上げて、口をとがらせる。
「だって…虹…」
「はあ?」
「…う、ううん、何でもない」
もう大学生なのにホースが作る虹を追いかけて近付いていましたと言うのはさすがの彼女も戸惑った。
触れるはずもないものに―――いつだって彼女は手を伸ばしてしまう。
届かないとわかっているのに。
「また人を勝手に見てたのか?」
「ち、ちがうよ!それだけじゃないもん」
間違ってはいないけれど、と彼女は思ったが、とりあえず否定する。
夏だからそんなに寒くは無い。すぐ乾くだろう。
彼女は顔についた水をごしごしとぬぐった。
「おい、あんまり強くこするな」
「ふえ?」
赤くなるぞ、と言いそうになって彼は口をつぐむ。
その代わり肩にかけていたタオルを彼女の顔に押し当てた。
「えっ?あっ?い、いりえく…」
「使ったのだから悪いけど」
「いえ、…そのぉ…」
まさか彼の使用済みタオルで彼に顔を拭いてもらえるとは。
彼女は違う意味で顔を真っ赤にさせる。
拭き終ると彼は彼女の額を人差し指でぐっと押した。
「わわっ」
「ほら、お前さっさと戻れよ」
「え?」
「風邪引くだろ。着替えろ」
「大丈夫だよ、たいして濡れてないし、夏だし、すぐ乾くよ!」
「……いーから」
彼は少し不機嫌そうに彼女の肩にタオルをかける。
くるりと彼女を反転させ、その背中を強く押した。
「わわっ、入江くん、力強いよっ」
前のめりになりながら、彼女は彼に文句を言おうと振り返る。
既に彼は後ろ姿で他の場所に水をまき始めていた。
――なんか、入江くん、ちょっといつもと違う?
彼女はそんなことを少し思いながらも、言われた通りにペンションへ戻る。
彼のタオルを大事に肩へ掛けながら。
なにはともあれ、心配してくれたのだ。
ほわほわと嬉しい気持ちを抱えて彼女は足取りも軽く進んで行く。
その淡い色のワンピースの下にうっすらピンク色の線が透けていたことは、結局彼女は全く気付かなかったのでした。
( 届かない 伸ばせない )
清里の一コマのつもりで書きました。
季節外れですね…。
自分の将来のこととかをぼんやり考えていた入江くんのつもり。
届かないとわかっているのに、手を伸ばしたくなるもの。
虹には届かないけれど――実は彼には届いていたりするのが琴子ちゃんで。
すぐ届くのに手を伸ばせないのが入江くんです。
自分が何本か文を書くようになって気付いたことは、私は、
「琴子ちゃんが無自覚で何かして、入江くんが内心動揺している様を琴子視点で描く」
というパターンがすごく好きなんだと悟りました。
だってそればっかり…。仕様ですとしか言いようがありません、すみません。
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